信じることの奥深さ
以前のわたしは今の自分が歪んだ◯だとしたら綺麗な◯を目指していくべきだし、そうすることで自分のたましいのよさを活かしてありのままで生きることができるのだから、変わろう!今のままでは自分を生きていないという意識が強くて、本来の自分に還れるように傷を癒そうと、変化することに重点を置いて過ごしてきました
その成果あって実際にヒーリングに出会う以前の自分では感じることのできなかった世界が今目の前に展開されています
あの頃のわたしのままだったら再び子どもを持つということはできなかっただろうし、そもそも望まなかったかもしれません
子どものことだけではなくて、しあわせに対しての考えかたや満たされるという感覚など生き方自体が大きく変わりました
それ故にクライアントさんにセッションをする中でも変わると言うことにポイントを置きすぎていたな、と感じています
目の前の人がどれだけ変わることができるか
そればかり考えていると、その人の今を否定するという気持ちが小さくてもこころに生まれてしまう
もっとフラットな感覚で必要なことは必ず起きると信じること
信じるというのには何段階もあって、おなかから、本当に深いところから相手を信じきるというのはなかなか難しいことです
でもだからこそ深いところから信じてもらえたときその人は自分のなりたいほうに進むことができるのだと思います
太陽にはなんにも判断なんてなくて、ただ暖かい光(エネルギー)を注ぎ続ける
誰にでも平等に
草花や木々たちはその光を受けて自分の伸びたいところに自由に枝葉を伸ばしていく
その在り方でセッションをした方が届くものが大きいような気がして、この方向がその人のためにいいと思って力が入ってしまうことも余計なことなんだと気づきました
判断なんてまったくいらなくて
わたしの感覚もどこまでもフラットに、導くという感覚さえ捨てて接してみよう
そう思ったのはいつからかわたし自身変わらなくてはというのに疲れてしまって、なんで変わらなきゃいけないの?今のわたしは悪いの?もう疲れたよ、とこころがひねくれてしまったから
必死で変わりたいと自分を成長させてきた経験も必要だったから夢中でそれに取り組んできたけど、もうしたくないと感じたのは自分を認めていくことを今のわたしが求めているからです
もっと認めてよ
ちゃんとここに在るよ
そんな声が聞こえたような気がして、そうだねよくがんばったねと自分に寄り添う選択をしました
だからと言って自分の成長を諦めたわけではなくて、もっともっと自分を開きたいし持っている傷を癒してたましいの(本来の)自分の輝き全開で生きてみたい
自分を変えなきゃと追い込まなくても、その方向に必ず進んでいけると信じられるようになったのかもしれません
みんなそれぞれ必要な経験を経て今の自分があるのだからそれをもっと尊重しよう
あなたはもう充分に素晴らしいよね
どんな人にもそのような気持ちで向き合うことが、これからのわたしのセッションには必要な気がしています